output43’s blog

誰かに都合よくいい感じで見せたい雑記

上原投手と敬遠とルール

上原浩治投手が引退した。
巨人入団から20年以上の月日が。。。早い。

上原投手で印象に残っていること。

・平成の怪物、松坂大輔と同期入団
・雑草魂
・新人で20勝
・メジャーに挑戦
・中継ぎ舐めるな発言
・抑えで大活躍、胴上げ投手
・メジャーリーガー、みんな下半身の毛の処理してる発言
・自分も真似して処理した発言
などなど

色々あるけれど、一番印象に残っているのは

・ベンチからの敬遠指示でマウンド蹴り上げる&涙事件

あれはシーズンも終盤。
巨人対ヤクルト戦。
ゴジラ松井とペタジーニがホームラン王争い。
松井にホームランを打たせたくないため、ヤクルトが松井を敬遠(ちゃんと勝負せず)。その報復としてベンチから上原にペタジーニを敬遠せよ!との指示が。
そこでの上原投手。
勝負させてもらえない、自分を信じてもらえない悔しさからか

マウンドを蹴り上げる&涙。

この行動は当時、賛否両論、話題になった。
街頭インタビューでサラリーマンは
「勝負するべきだったか?」
の質問にはイエス!が多いけど、
「会社で上司に納得の行かない命令をされたら、命令に背くか?」
の質問にはノー!の回答。そんなもんですよね。仕事ですしね。それが大人ってもんですよね。
と言いつつ、野球はエンターテインメントなんだから勝負してくれよーって思ってた当時の自分。

あれから20年くらい経って時代が変わってきた気がする。
ルール違反でないのであれば何でもあり。勝負、数字、結果、にこだわるのならしょうがない、問題ない、むしろやるべきな空気感、世の中も、自分自身も。
敬遠もルールとして許されているものであり、勝つための手段の1つであるから利用するのは問題ない空気感。敬遠時の敵チームからのブーイングもお約束。ピッチャーは気にしない。気にならない。
かつての上原投手のようなピッチャー、勝負ができずに涙するピッチャーは減ってきている気がする。

昭和時代って
・正々堂々と勝負しろ!
・負けるとわかっていても全力で行け!
・弱い相手でも失礼になるから全力で行け!

みたいな感じだったけど、今は過程より結果。
勝つためには、ルールで許される「逃げ」もフル活用するし、逆に勝たなくていい場合(予選突破確定の場合など)もルールを守って手を抜くのは当然のこと、怪我しても馬鹿らしいし。引き分け、敗戦ウエルカム。
ゴジラ松井の甲子園での5連続敬遠も今だったら昔ほど話題にならない気がする。当時は僕も「卑怯だー、高校生らしくないぞー(監督の指示だけど)!そんなんで勝って嬉しいのかー!」なんて思ったてけど今はどうだろう。それもありかな?って思うのか。
今ならば、ファミスタで勝負に徹した友人が、なんの迷いもなしに4番落合にデッドボールを投げてきたことを許せる気がする。いやそれは許せないな。
とは言え、以前は嫌だったものが今は許せてしまう。
時代に流されているのか?いや、令和時代に適応しているのか?
何が正しいか、正しくないか。正しいってなんだ。真実は1つか?
何事も正しくもあり間違いでもある。誰かにとっての憎むべき人は、他の誰かのかけがいのない人でもある。
結局自分次第。自分基準。
僕が言える1つの真実は
「敬遠は卑怯だ!」、「いや、ルールだから問題ない!」の次元を超えて
敬遠のボールを打ってサヨナラタイムリーを決めた新庄選手はスーパースター。

おしまい