output43’s blog

誰かに都合よくいい感じで見せたい雑記

チョコミントを好きと言うこと

今週のお題「チョコミント」
チョコミント、好きである。というか、好きだと言うようになった、最近。
なぜか?
それは妻がチョコミントを嫌いだから。といっても僕は、妻が嫌いなわけでもないし(むしろ好きだし、かなり好きだし)、ましてや妻にチョコミントを無理やり食べさせて楽しんだりするわけでもない。
このお題をきっかけにチョコミントについて考えて、なんとも器の小さい自分を再認識したのであった。
チョコミントを好きな理由。好きと言うようになった理由。
それは、「道端の石ころのような平凡な自分」を少しでもちょっと変わっている奴、特殊な奴、特別な奴、意外な奴に見られたい願望からきている。悲しき再認識。罪なお題。
「チョコミントなんて歯磨き粉みたいじゃん。」という妻の意見に対して「そんなこと無いよ、美味しいよ。分かんないのかなあ、この美味しさが、分かる人にしか分からないんだよねー、選ばれた人しか分からないんだよねー。」って言いたいだけである。変わっている自分カッコいい、という子供っぽい思考。子供の頃思う松葉杖カッコいい、ギプスカッコいいみたいなものである。
僕はいい歳だが、既に子供の頃から、「人と変わっていることはいい事」の風潮はあったと思う。子供時代に、今よく言われているような「個性を大事にする」みたいなことは聞かなかったけど、子供心に、人とは違う=モテる、の公式があったように思う。モテるまではなかったかもしれないけど、注目される→人に気にされる→人気がある、みたいな感じ。周りの友達よりもいち早くランドセルから普通のバックにチェンジ、無意味に色んなものが飛び出す多機能筆箱、書きながら人差し指で芯が出せる変わったシャーペン、周りの人はあまり興味を持っていないキャラクターのグッズ収集、などなど、周りの人に関心を持ってもらいたいがゆえの行動。周りの友達もそうだった。ただ、そういうモノによる特殊性は一過性のもので、やっぱり自分自身の能力の特殊性がないと長く人には気にしてもらえない、モテないのである。クラスで一番足が早い、サッカーがうまい、ソフトボール投げですごい距離出す、そもそもカッコいい、などなど。本物の特殊性の前にはお金で手に入る特殊性はひれ伏すしかないのである。分かっているさ、そんなこと。小さい頃から認識している。もっと切磋琢磨しようよ。分かっているけどさ。なかなかね。。。ついつい手頃な手段に手を出してしまう。「チョコミント好き」とか言ってしまう。でも考えてみると、これは妻に少しでも自分をよく見せたいという行動でもある。これは愛じゃなかろうか。結婚後も変わらぬ愛情。今でも妻にモテたいという思い。素晴らしいではないか、自分。頑張っていこう。
で、あらためてフラットな気持ちでチョコミントのこと考えると、特殊性うんぬんでなくチョコミントは好きである。いつからチョコミントってあったんだろう。気がついたときにはセブンティーンアイスで食べていた記憶。みんな普通に食べてた。友達同士で好きとか嫌いとか対立するようなこともなかった。チョコミントは特別なものではなかった。最近、やれ歯磨き粉みたいとか、関西の人は絶対食べないとか、好き嫌いの対立軸が生まれた気がする。そういう時代、なんでも白黒つける時代なのかな。きのこの山とたけのこの里も、どっちも好きとは言ってはいけない風潮。どちらかに決めて、どちらかを攻撃しなければならない。勝たなければならない。考え過ぎか。まあ、ただ一つ言えるのは僕は妻が好き。子供も好き。アイドルも好き。どれも好き。対立のない平和な世界で暮らしたい。